高谷哲也@鹿児島大学「教育と研究に関する2、3の記録」

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■ 高谷哲也@鹿児島大学の、教育および研究上の記録や、
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近況:3年生ゼミ本格開始(2022年10月21日)

■ 2024年度週間スケジュールを更新しました

(2024/04/09)

本サイトの「担当科目・週次予定」を2024年度版に更新しました。

最新のプロフィールは、
「鹿児島大学研究者総覧(クリックで展開)」に掲載しています。

日々の更新は、下記のブログにて行っています。

http://takatani.cocolog-nifty.com/
 「高谷哲也@鹿児島大学の2、3のつぶやき」

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■ 近況はブログの方で更新します

(2015/04/01)

大学のホームページ管理の仕組みが変わり、
更新作業がやや煩雑となったため、
簡単な近況の記録は、ブログにて更新しています。

ブログへのアクセスは下記のアドレスからどうぞ。

http://takatani.cocolog-nifty.com/
 「高谷哲也@鹿児島大学の2、3のつぶやき」

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■ 平成27年度 学外活動予定日程 (03月21日現在)

(2015/03/21)

講演・講話・校内研究支援・各種外部委員など、
すでに予定の入っている学外での活動日程一覧です。

お問い合わせの際に「担当科目・週次予定」とあわせてご参照ください。

4月: 27(月)、28(火)
5月: 13(水)、29(金)
6月: 05(金)、19(金)〜21(日)
8月: 08(土)、22(土)、26(水)午後
9月: 06(日)〜13(日)、19(土)
10月: 07(水)、17(土)、28(水)

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■ がんばる卒業生をどう支えるか

(2014/12/24)

21時頃、
ある卒業生が研究室まで足を運んでくれた。

自身の勤務校から大学まで、
車で片道1時間30分以上もかけて来てくれた。

実は、
夏、秋と、何度か連絡を受けつつ、
いつも私が出張中のため会えずにいたところ、
ようやく調整がついたのだ。

そのような経緯もあり、
勤務後の遅い時間にわざわざ足を運んでもらうことに躊躇する気持ちもあったが、
次いつ機会があるかわからないため、厚意に甘えることにした。

というのも、
2週間ほど前、彼女の勤務する中学校を訪問した際、
とても大変な状況にあることを知ったからだ。

教師の仕事は、
どんなに全力で、最善を尽くしていても、
何が起こるかわからない。

彼女の直面した(経験している)状況は、
着任2年目の教師には厳しい現実の理不尽さがある。

幸いにも、彼女には、
その現実のつらさを共に受けとめ、支えてくれる同僚が校内にいる。

それを訪問時に実際に知ることができただけでも、
2週間前に学校へ足を運んでいてよかったと心から思う。

何事にもまじめに前向きに取り組み、誠実な彼女。
それをしっかりと見てくれており、支えてくれている同僚がいる。

その事実を、心からありがたいと思っている自分にふと気がついた。

これが、卒業生を送り出した指導教員としての気持ちなのだろうか?
では、かつての指導教員として、自分には何ができるのか?

厳しい現実の中で必死に進んでいる卒業生を、
自分はどのように支えていく必要があるのか?

大学教員として、
また新たな課題に気づかせてもらうこととなった。

彼女のもとには、
生徒から様々な相談や、
教師の目には見えづらい生徒間の問題の情報が多々寄せられるという。

それは、
ひとりの信頼できる大人として、
彼女が生徒から見られている証拠だと思われる。

彼女の誠実さやぶれない信念を最も良く見てくれているのは、
生徒なのかもしれない。

そんな素晴らしい教師となりつつある卒業生に、
私自身も学ばせてもらいながら、
専門的なサポートができるよう進んで行きたいとの思いを強くする夜だった。

ケーキもおいしかったが、
とても貴重なクリスマスプレゼントをもらえたのだと思う。

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■ 多様な他者から学ぶスタンス

(2014/06/14)

今年度に入って2か月半が過ぎるが、
毎週1〜2校のペースで、どこかの小中学校にお邪魔させてもらっている。

大半は、校内研修や授業研究に参加させてもらうことが中心だ。 

本来は校内の教職員のみで実施している校内研修や授業研究に、
どの学校も、部外者(かつ若輩)である私を、
とてもあたたかく受け入れてくださり、真摯に向き合ってくださる。

また、
ゼミの学生を複数名同行させてもらうことが多いが、
研修や授業研究のワークショップへの学生の参加も、
とても快く受け入れていただいている。

今年度15回をこえるそれらの機会に身を置いてきて、
ふと、そのような学校・教職員に共通しているものは何かと考えた際に、
実感として見いだされたものがある。

それは、
何か新たなことに挑戦しようとしているチャレンジ精神と、
多様な他者から積極的に何かを学び取ろうとする姿勢である。

そこでは、
「教職経験がないから」とか、
「まだ学生だから」とか、
「現場のことを知らないから」といった理由で、
私や学生の意見が端から否定されたり反論されたりすることがない。

逆に、
部外者や学生の意見は、
そのような立場だからこそ見えたり考えたりできる意見として尊重される。

また、
そもそも意見しづらい立場にあることへの配慮や、
そのような中で意見を出してくれたことに感謝の意を表してくれることまである。

そこには、
部外者や若輩、年下、素人の意見にも真摯に向き合い、
それを専門職としての自身の学びに自ら転換させるというスタンスが存在している。

そのようなスタンスを有している方達との出会いと真剣な議論は、
私自身はもちろんのこと、
これから教職に就いていく学生にとって、
極めて有益な経験となるように思う。

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■ 卒業生の学びへ向かう姿勢と想いに気づかされること

(2013/07/10)

7月10日、
午前・午後と、ふたつの中学校の授業研究に参加してきた。

ひとつは、
かつての私のゼミの卒業生が行った、2年生の英語の授業である。

今年から中学校教諭として勤め始めた彼女は、
学部時代、いろいろな困難に直面しながらもそれを乗り越え、
この春大学院まで修了し、いま、夢の教壇に立っている。

当時の彼女のがんばりや、
そこからめざましい成長を遂げたことが思い出される。

中学校教諭として、
彼女はこれからどのような成長をしていってくれるのだろうか。
いろいろと感慨深いものを感じながら、授業を観させてもらうこととなった。

授業は、
私が居るせいもあって、かなりの緊張が伝わってくるものだった。

生徒にもその緊張は拡散し、
「いつものように」とはいかなかったが、
日頃から彼女が授業で大切にしているであろうことは良くわかった。

説明を聴かせる時とノートにまとめる時の区別をしっかり行うこと。
規律ある授業の中でも、いつも笑顔で語りかけ、ユーモアも大切にしていること。
個々の生徒の状況把握を大切にしつつ、全体も俯瞰的に観れるよう心がけること。
たとえ説明時であっても、生徒のつぶやきへの応答や言葉のやりとりを大切にしていること。

緊張している中でぎこちない部分はあったが、
これらが自然と行われるのは、
子どもたちの前に立ち始めてまだわずか3ヶ月足らずだが、
すでに教師の振るまいとして身体化されているからだろう。

それらは今後の成長の方向性として間違いなく期待の持てるものであったし、
なによりも、そんながんばっている先生の姿を、
生徒が終始とてもあたたかい眼差しと笑顔で見つめていることが、
かつての指導教員の私としては嬉しかった。

それは、
すでに生徒から慕われる関係は構築できていることの証左だからだ。

今後は、慕われる段階から、
授業で信頼される段階へと進んでいってくれることだろう。

授業研究の場には、
管理職のみならず、英語科の先生方も忙しい中駆けつけてくれた。

このような組織的な環境も、彼女の成長を支え、促していってくれることだろう。

そんな安心感と今後の期待感を胸に、
午後の別の中学校での授業研究も終え、夜遅く大学へ戻ると、
今日のお礼のメールが届いていた。

その中に、次のような一文があり、ハッとさせられた。

「自分のクラスの授業に高谷先生が居て、見て下さり…
学生時代、自分があこがれていた風景でした!」

学びにしっかりと向かっている者は、
このような物事のとらえ方をしているのだと気づかされた。

また、
そのような気持ちを素直に表現できることの素晴らしさと、
表現してもらえることのありがたさを教えられた。

指導の成否が見えづらい教育活動。
このような形でその手応えを感じさせてもらえた私は幸せ者である。

しかし、果たして私は、
そのような素晴らしい学びへの姿勢や想いに応えられるだけの力を磨けているだろうか?

また、感謝の気持ちを素直に表現できているだろうか?

卒業生から、今日もまた大切なことに気づかせてもらった。

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■ 国際学会への参加から受けた刺激と悩み

(2013/06/30〜07/07)

6月30日から7月7日にかけて、
ベルギーのゲントへ赴いた。

ゲント大学を会場に催された、
ISATT(International Study Association on Teachers and Teaching)という、
教師教育に関する国際学会に参加するためだ。

7月3日には、
私たちが取り組んできた共同研究の成果を3名で発表した。

日本の小学校教員が抱いている教職観・力量観の特徴について、
担っている役割に起因する広範さに加え、
文脈性の高さが認められること、
職務上関わる対人関係が基盤になっていることなどを報告した。

フロアからは、
研究で採用した調査方法に関心が寄せられ、
教師のリフレクションを促す手法として発展させられる可能性に評価が集まった。

それは、
まさに私たちが次の研究として取り組もうと考えていたことそのものであった。

国際的な教師教育の研究視点から見ても、
その方向性が評価されたことは、大きな手応えと自信を得られる機会となった。

一方で、今回の国際学会への参加からは、
個人的な課題として、語学力の問題と時間捻出の難しさを痛感することとなった。

語学力に関しては、
共同研究者の先輩方に頼りっぱなしで申し訳なかった。

時間の捻出については、極めて深刻だ。

教員免許更新講習の担当、
教員免許状認定講習の担当、
教育実習指導の充実、
実践的科目のさらなる充実に伴う学校現場との調整・学生引率、
キャリア教育と教員採用試験に向けた学生指導の充実、
地域の現職教員研修の高度化への貢献、連携などなど。

増え続ける教員養成系学部の大学教員に要求される業務負担の中では、
このような学会へ参加する時間の捻出は困難を極めるからだ。

今回の国際学会への参加も、
渡航と発表に向けた準備は言うまでもなく、
1週間分のすべての授業の振り替え、
その期間に進めることのできない学内業務・学外業務の調整・補充など、
出張前後に波及する業務量は尋常でないものがあった。

結局は、
それは大学教員としての役割にどのような優先順位をつけるかという問題に行き着く。

自身の研究・成長を優先するのか。
学内業務への貢献を優先するのか。
学生の教育への貢献を優先するのか。
地域・現職教員の学びへの貢献を優先するのか。

どれもないがしろにすることはできないし、
課せられている役割から優先すべきであるとするならば、
私の場合、個人的な研究・成長の機会は後回しにせざるを得ない。

時間にも能力にも体力にも限界があり、
すべてを高いレベルで両立させることは現実的には困難だからだ。

しかし、
研究は大学教員の使命であるし、
自己の成長の機会なしに学生への教育の充実は望めない。

多くの先生方が高度にこれらのやりくりをされている姿をみながら、
自身の力の至らなさを痛感する。

突きつけられている問題はとても悩ましい。

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■ 生徒の思考力を育む工夫が凝らされた美術の授業からみえること

(2013/06/25)

昨日の小学校での授業研究に続き、
今日はある中学校の美術の授業研究に参加してきた。

生徒の関心を刺激し、
思考を促すための丁寧な工夫が随所に盛り込まれた、
すべての教科の教師が参観する価値のある、すばらしい授業だった。

事実、生徒全員が、
自身の発想を自由に膨らませ、
それをうまく表現しようと取り組む姿がはっきりと観察された。

日頃から教師が個々の生徒の自由な発想や発言を認め、
生徒との双方向のやりとりを大切にしていることがよくわかる授業だった。

いつもの授業には存在しない参観者の存在は、
教師と生徒の双方にとって普段とは異なる緊張感を生み出す。

それゆえに、
研究授業の際に子どもたちが見せる姿を、
通常の授業と同じと見なすことはできない。

多数の大人の視線を感じる中で振る舞わなければならない上に、
生徒は教師の緊張すらも敏感に察知し、困惑しながら授業を受けることになるからだ。

しかし、だからこそ、
日頃から、どのような指導方法が重視されているか、
教師と生徒の間にどのような関係が築かれているかが、如実に表れる。

授業序盤は、いつもとはちがう緊張感に生徒の表情・身体が強ばっている。

だが、
先生からの巧みな発問、教材提示、生徒との丁寧な言葉のやりとりを通して、
一気に子どもたちの関心は授業内容へと引き込まれ、乗せられていく。

個々の生徒のつぶやきや発言に対する先生の丁寧であたたかい言葉の応答。
発問をきっかけとした生徒間のユーモアのあるやりとり。
そういった、いつもと同じやりとりが展開されることによって、
そこでやりとりされている内容への関心の方が、緊張感を上回っていく。

導入段階からすぐに観察されたこのような生徒の学びの姿は、
日頃の授業の中でも、
教師―生徒間、生徒―生徒間のやりとりが大事にされているからこそ、
いつもとは違う状況においても、自然と現れてくる姿だといえるだろう。

研究テーマである生徒の思考は、
指導案上で想定されていたようには展開しなかった。

しかし、
思考力を育むうえで重要となる、
生徒の深い発想や意欲を引き出す教材提示、
自由な発言を認め、それらを丁寧に評価することなどが、
日頃の授業でも大切にされていることがはっきりと確認された。

それゆえに、
今回の授業で生徒の思考が想定通りに行かなかった原因は、
「いつもとは異なる状況の中での緊張」や、
「思考に費やせる時間の不足」といった点にあるのではなく、
生徒の発想・思考の実態に関する入念な検討・想定が不足していたからだと考察できた。

また、授業研究では原因の特定だけにとどまるのでは無く、
授業中に観察された子どもの事実から、私たちが学べなくてはならない。

授業中に生徒が実際に思考し表現した内容に見られる特徴や傾向。
何を、どのような順序で考え、思考していったのかといったパターン。

実際に子どもたちは何を、どのように思考したのかという事実に基づかなければ、
では、どのような発問・演習・課題が効果的だと考えられるのかは論じられないからだ。

その意味で、
授業を参観し、そこでの子どもの学びの事実を詳細に観察することは、
教師にとって大切な学びの機会であるといえるだろう。

言いかえれば、
児童生徒・学習者から学び続けることこそが、教師の成長にとって不可欠だといえるだろう。

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■ つぶやきと本音が自然と表出する授業を観た学生

(2013/06/24)

6月24日の月曜日、
今週も午前中の講義を終えた足で、
とある小学校の授業研究に向かった。

6年生の社会科の授業を参観し、
ワークショップ型の授業研究に参加した。

室町時代の文化と、差別の問題に迫る、
人権教育としての位置づけも重視された単元構成であった。

今回の授業研究にも私のゼミの4年生が一緒に参加したが、
参観後に学生が口をそろえて語った第一の感想が、
「6年生でも、こんなに本音と高度な考えを自由につぶやける授業ができるのか」であった。

驚くべき事であるが、
彼らが経験してきた自身の被教育経験や、
教育実習等で観てきた授業からイメージされる6年生の姿とは、
「自らの発言は出にくい」、「本音を引き出すのは難しい」姿だったということだ。

しかし、今日の授業では、
そのようなイメージとは真逆の子どもたちの学びの姿を目の当たりにすることとなった。

活き活きと自身の考えを述べる子どもたち。
45分間笑顔の絶えない、自然と学びに没頭し楽しんでいる表情。
参観者には見向きもせず、
先生の言葉や動きを、ひとつも逃すまいとする高い集中力とするどい視線。

先生からの問いかけと発表のやりとりを、心から楽しみ、
先生の期待に合わせるのではなく、本当に自身の思ったことを素直に発言する子どもたち。

学力的に厳しい子や、特別な支援が必要だと思われる子どもも、
先生の問いかけに対してみんなと一緒につぶやき、目を輝かせている。

そこには、
「こんな授業も成立し得るのか」と、
学生の授業観・学習観・子ども観を大きくゆさぶるのに十分な事実が溢れていた。

学生たちは、
高学年から中学生について一般的にイメージされている、
「本音を語らなくなる」、「発言しなくなる」といった子ども観は普遍的なものではなく、
実は教師の指導や工夫次第であるという事に気づいたと語った。

残念ながら、
学生たちはワークショップではあまり発言する機会がなかったようで、
大学へ戻るまでの道中、
大学へ戻ってからも2時間以上、
教師のどのような指導上の要素がそのような授業に結実しているのか、語り合った。

個を尊重した丁寧であたたかい言葉づかい。
的確な肯定的評価が大半を占める、子どもたちの発言への応答。
説明・指示よりも発問が多くを占める、教師から発せられる指導言。
指導案上に計画された授業展開よりも、
その場で展開する子どもたちの思考の実態を優先し、計画を変更しながらの授業運び。

授業中、しっかりと子どもたちの様子を観察していた学生たちは、
「○○の場面で、あの子が△△といった反応をしていたことから考えると」といったように、
実際に授業中に生起した子どもの事実に基づいて上記のような要素を見出した。

このような、
見事な観察と考察を繰り広げる力を身につけつつある学生たちと語り合えることは、
指導教員として至上の喜びである。

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■ 学校の授業研究の現場に学生が参加する意味

(2013/06/17)

6月17日の月曜日、
午前中の講義を終えてすぐ、
ある小学校の授業研究に足を運んだ。

学校側の意向で、
参加を希望する私のゼミの4年生2名も一緒に参加させてもらった。

学生は、
教育実習や学校支援ボランティアなどを経験しているが、
校内研修・授業研究の現場に参加するのは初めてである。

今回参加を希望した学生は、
「実習校以外の学校現場にも学びたい」
「学校で一般的に取り組まれている授業研究を経験しておきたい」
「授業研究では何を観て、検討・研究すればよいのかを、
 一緒に参加する指導教員の私から学びたい」といった、
自らの学習意欲と課題意識に基づいて参加を申し出た。

教員採用試験が1ヶ月後に迫るこの時期、
少しでも試験勉強に時間を割きたいと考えるのが普通であろう。

しかし、彼・彼女らは、
「試験勉強以上に、教員になってから本当に必要な、今しか学べない経験をしたい」と言う。

そのような学びの基準をしっかりと持っている2人は、
初めて授業研究に参加した者とは思えないほどの観察力と、分析力を発揮した。

授業中に生起した子どもの事実を極めて詳細に観察・記録し、
授業後に子どもに話を聴くことで、自身の見とり・解釈のズレの修正まで行っていた。

そして、授業研究の場では、
それらの事実に基づき、本質を突く質問・考察・意見を、物怖じせず発言した。

学校へ向かう道中に私が与えたアドバイスは、
授業研究では「授業者ではなく子どもを観る」こと、
「参観時は事実を記録し、研究時は事実に基づいて考察する」という程度だったのに、である。

授業研究終了後には、
先生方との情報交換会にも参加させてもらい、
大学へ戻った時には21時を過ぎていた。

しかし、
帰りの道中だけでは1日の感想を語り合う時間が足りず、
研究室にて引き続きふり返りの会をもった。

気づけば23時を過ぎ、
帰宅時にはさすがにクタクタだった。

学生にとって授業研究の現場への参加は、
私が想像していた以上に、
現場と子どもに学ぶ貴重な経験となったようだ。

学生からは、
参観した授業や教育方法一般に関することから、
子どもの事実の見とり方と解釈の仕方、
研修や授業研究の進め方に関することまで、
途絶えることなく次々と感想・疑問・自身の考えが出された。

今回の経験で、
研究的な追究意欲が強く刺激されたのだろう。

このような貴重な学びの機会が実現したのは、
「学生の参加が教員側の学びと刺激にもなる」と、
学生の参加を歓迎してくれた学校側の厚意のおかげである。

また、
授業者の先生には、
外部参加者にも積極的に授業を開いていただくだけでなく、
事前に詳細な研修計画と指導案まで送付していただいた。

改めて、
学びに真摯に向き合う者同士が互いに及ぼす影響は、
極めて大きいと感じた1日だった。

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■ ゼミの卒業生が訪ねて来てくれるありがたさ

(2013/05/24)

3年前に私のゼミから巣立った卒業生2名が、
研究室に足を運んでくれた。

互いの近況の報告から、
ゼミでの学びの思い出話まで、
2時間ほどの時間があっという間に過ぎた。

現在は小・中学校教諭として勤める2人と様々な話をしながら、
当時と変わらない若いエネルギーを感じ、安心した。

また、
分析的・論理的な物事のとらえ方と、
要点を意識した話し方がしっかりと身についていることを、心強く思った

当時の私が、
彼・彼女らに獲得してもらいたいと思っていた力が、
自然と発揮されるレベルで身についていることを実感できたからだ。

加えて、
極めて高い向上意欲に感心させられた。

・授業、いつ見に来てもらえますか?(すでに所属校の校長の許可を得ている!)
・後輩の参観希望には授業をいつでも開きますよ
・自身の実践を教育学の専門知見と照らし合わせる学びの機会がほしい
・(現実的には極めて困難だが)互いの授業を見あいたい

そういった言葉が、
自然と、自身の成長の機会として位置づけられて発せられるからだ。

そこで、早速、
授業を見学させてもらう日程を確認するとともに、
8月に、現ゼミ生と学び合う機会を設定することになった。

改めて実感させられたが、
大学教員としての自分を、意欲づけ成長させてくれているのは、
このような学生・卒業生の学びに対する真摯な姿勢なのだろう。

寝食以外の時間は業務・仕事に忙殺されがちな身にとって、
そのような刺激と活力を与えてもらえる機会として、
学生や卒業生が訪ねて来てくれることは本当にありがたい。

感謝の気持ちとともに、
彼・彼女らのさらなる成長に少しでも寄与できるよう、
自身もさらに向上しなければならないとの思いを強くした。

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■ 今年度最初の授業研究

(2013/04/30)

4月30日、
ある中学校の2年生の英語の授業に足を運んだ。
今年度最初の授業研究への参加である。

40人近くの参観者に観られる中、
生徒が高い集中力と楽しそうな雰囲気で各種学習活動に取り組んでいる姿が印象的だった。

グループでの学習活動の際には、
互いに学びを援助し合う場面がいくつか見られた。

発言することが苦手な生徒に対し、
「これを見ながら読んでみたら?」
「考えがまとまった所だけ話してみて?」
といったようにグループのメンバーが配慮や支援の言葉をかけている。

グループ学習の場面では、
話上手、まとめ上手、学力上位、司会、仲の良いメンバーだけで、
グループの話し合いをリードし、
学習を進めて行ってしまう様子が観察されることが少なくない。

今回観察された「他者と共に学び合える力」は、
学校の研究テーマでも、教科としての研究テーマでもないため、
研究協議の際には話題にのぼらなかった。

しかし個人的には、
そのような力が教師のどのような指導スタンスによって育まれてきたのか、
今後このクラスの学びの中でどのように変化していくのか、
考えていきたいと思える授業だった。

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■ 新入生へのガイダンスから学ぶこと

(2013/04/09)

4月1日より新入生を迎え、
各種オリエンテーションがスタートしている。

新入生は、
5日の入学式をむかえる前に、
1日から毎日オリエンテーションづくしである。

今年度は1年生のクラス担任を担っていることもあり、
新入生がどんなオリエンテーションを受けているのか参加してみている。

共通教育に関する履修ガイダンス、
教育学部での履修ガイダンス、
学生生活に関するガイダンスと、
全体ガイダンスは説明、説明、説明が続く…。

まだ大学生活を1日も始めていない彼・彼女らにとっては、
イメージがつかめず、説明中の用語すら難解である。

それゆえ、
高校との違いを解説しながらの、
とても丁寧な説明が全体ガイダンスではなされていた。

一方、専修でのガイダンスは担任である私が担当する。

新入生と一緒に全体ガイダンスを受けてみて、
急遽、自身が行う専修ガイダンスに変更を加える必要性を感じた。

自身が学生だった時に、
大学での学びのイメージがまったくつかめない状態で詳しく説明を受けても、
ほとんど頭に入らなかったことを思い出したからだ。

そもそも、大学の授業や学び方のイメージがない。
行事やゼミがどんなものかわからない。
4年間の流れがわからない。

まずは、
基本的なこれらの情報をイメージできるよう、
視覚的に理解できる資料の提示が必要だと感じた。

(そんな当たり前のことを何を今さら…と思われるかもしれないが。)

そこで、
専修での4年間の学びの特徴的な場面の写真を急いで探し出し、
最初にスライドでそれらを提示しながら、
これからどんな4年間を過ごすことになるのかを順に紹介する流れに変更した。

特に、大学では、
200名近くが受講する大人数講義から、
40名前後の語学・講義・演習、
数名〜10名程度の演習、
学校や施設での実習・フィールドワークまで、
授業ひとつとっても様々なバリエーションがある。

それらの授業形態を各々スライドで紹介し、
大学の授業の特徴と、主な履修時期をイメージしてもらうことを試みた。

また、
大学での学びの大きな特徴の一つであるゼミについても、
ゼミの様子やゼミ単位でのイベントの様子などを提示し、
これからの大学での学びに期待を持って臨んでもらえるよう内容を変更した。

それらがどの程度効果のある説明となったのかはわからないが、
これからの大学での学びがイメージされ、
少しでも期待感が生まれたうえで、
各種説明を聴いてもらえれば幸いだと思う。

それにしても、
ガイダンスの内容構成ひとつとってみても、
一旦説明する側になってしまうと、
説明「しなければならない」内容に発想が縛られ、
こうも相手の立場への配慮に気づかなくなってしまうものかと危機感を覚えた。

これは授業においても同様なのかもしれない。

丁寧な説明が効果を発揮するためには、
現在の学びが全体像のどこに位置づいているのか、
これまでの学びや経験の何と関連しているのか、
今後どのような学びの展開が待っているのか、
それらのイメージが学習者の中にある程度準備されるような工夫がセットで必要となるだろう。

新入生へのガイダンスからも、学ぶことは多い。

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■ 2012年度総括

(2013/03/31)

今年も卒業式をむかえ、2012年度が終わる。

今年度をふり返ってみると、
非常に密度の濃い1年間だった。

数多くの小中学校・教育委員会・教育センターのご厚意で現場に足を運ばせてもらい、
学校現場の現状に多く学ばせていただいた。

いくつかの学校の校内研究にはゼミ生も参加させてもらい、
学生の段階で、教師として生涯学び続けることの重要性を実感できる機会を与えてもらった。

自身の学びにとっても、
学生の学びにとっても、とてもありがたい1年間であった。

しかしその一方で、
自身がこなせる仕事量の限界も思い知ることになった。

どんなに気持ちが充実していても、
体には限界があるということを思い知った。

9月〜11月には、
多くの方に心配と迷惑をかけることとなった。

2013年度は、
体調とのバランスをうまくとることが課題となりそうだ。

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■ レポートの採点は自分のためでもある

(2012/08/15)

先日、
ある学生が、こんな疑問を投げかけてきた。

「先生、レポート課題って、
 あんなに大人数の分を、ちゃんと読んで採点してるんですか?」と。

確かに、
受講者が100名をこえる授業のレポート課題を、
ひとつひとつじっくり読んで採点している先生の姿は想像しづらいのかもしれない。

全レポートに丁寧にコメントを書いて返却することも難しいため、
学生の立場からすると、
「どうせ、文字数とか、内容をざっと見た程度で採点してるんでしょ?」
と思う気持ちは理解できる。

実際のところはどうなのだろうか?

私の場合、
現在、200名をこえる受講者のレポート採点に7月末から取り組んでいる。

単純化して計算してみると、
少なめに見積もって1人2,000字程度のレポートだとして、
200名分で40万字分の文章を読むことになる。

学生のレポートは作家が書いた文章ではないので、
推敲がなされておらず難解な文章や、
そもそも文章になっていないものも多くあり、
同等の分量の一般的な書籍を読む以上に疲労することも少なくない。

また、
評価の観点と基準に従って「採点しながら読む」のは、
単に文章を読むのとは訳が違い、
極めて骨の折れる作業でもある。

例年、
7月末から8月の盆明けあたりの成績提出期限までは、
多忙な中、レポート採点の時間を捻出するだけでも相当苦労する。

しかし、
学生の柔軟な発想で論じられたレポート内容は、
それだけで興味深いものも多いため、
大部分は楽しみながら読むことができる。

学生の素朴な疑問や斬新な考えに触れることがきっかけで、
自身の研究テーマに新たな発想や視点が加わることもあるぐらいである。

また、
学生の書いたレポートは、
自身の指導の結果を映し出す鏡であるため、
自分自身の指導のあり方をふり返る最高の材料ともなる。

毎年、
講義の目的に対応したレポートの採点基準をあらかじめ学生に明示しているが、
レポート課題から把握できる学生の学習実態から、
来年度の教育目標と指導計画、評価基準の再考も行うことになる。

その意味で、
レポートの採点は自分のためにやっている感覚が大きく、
「ちゃんと」どころか「全力」である。

なので、
少なくとも私は、
「ちゃんと読んで採点している。」と答えられる要件を満たしていると思う。

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■ 講演の手応えをつかむ難しさ

(2012/06/29)

鹿屋市において金曜の午後に開催された、
「平成24年度 鹿屋市青少年育成推進大会」において、
90分間の講演の講師を務めた。

「これからの子どもたちに求められる学力」という演題のもと、
時代の変化と求められる力の具体例の紹介、
学校教育が育成を目指している「生きる力」の概念の共通理解、
それらを育成するためにおとな世代ができることの構想、
を主たるテーマとして話をさせてもらった。

収容人数300〜400名ほどのホールでの講演であるから、
「これからの教育のあり方」について、
多くの人へメッセージを発信する貴重な機会となった。

フロアの反応を見ていると、
やはり具体的な実践例を紹介することの効果と重要性を実感した。

また、当たり前のことだが、
会場に集まっている人たちが有している知識や問題関心を把握し、
いかにそれらに近接した話題で講演内容を構成するかがカギであると痛感した。

この点について今回は、
事前に十分な情報を得ていなかったことが反省される。

加えて、
リアルタイムに手応えをつかみながら話を展開できる力を身につける必要性を感じた。

大学では、
200名近い講義であっても、
受講者とのその場その時のやりとりや机間指導を通して、
こちらが実現しようとしている事柄の手応えを判断しながら、
適宜計画や内容を修正しつつ話を展開できる。

しかし、
講演というスタイルでは、
途中、フロアに足を運んで問いかけたりもしてみたが、
なかなか手応えをつかむことが難しい。

参加者には貴重な時間をいただいている。
ゆえに、
その瞬間瞬間の反応に応じながら話を組み替え、
可能な限り「良い時間を過ごせた」と思ってもらえる講演ができるようになりたいと思う。

今回の経験を通して、
また新たな追究課題を確認することとなった。

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■ 卒業生の現場に学ぶ

(2012/06/26)

今年の3月に私のゼミを卒業し、
現在小学校教諭として勤めているT先生の授業を見学させてもらった。

2年生の算数の授業であったが、
子どもたちにしっかりと学習に向かう姿勢が身についており、
全員が一生懸命に学ぼうとしている姿が印象的だった。

初任の3ヶ月間、
どのような指導を丁寧に積み重ねてきたかがわかる授業だった。

また、
授業の展開、発問・指示、板書、ワークシート等、
子どもたちの思考がうまく本時の目標とする段階に到達できるよう、
多角的に授業づくりの工夫がなされており、感心させられた。

授業終了後、
私が感じた率直な授業の感想に加え、
それらの工夫が実際にはどの程度効果を発揮したのか、
それはどの子のどんな様子から判断できるのかについて、情報交換を行った。

私があれこれと指摘するよりも、
自分で授業をふり返って、
授業中の子どもの事実に基づいて指導の成否を分析し、
それを参観者の分析と突き合わせ、考察し、
次の指導へと活かしていくことが、教師の成長にとって大切だと思うからだ。

しかし、
授業中は緊張していたこともあって、
すぐにじっくりとふり返ることが難しいようだったため、
ついつい私が多くしゃべりすぎてしまった。

私自身も、
授業を参観させてもらった際の1対1でのふり返りの仕方について、
もっと研鑽と経験を積まなければならないと、反省した。

そのような意味でも、
卒業生が、自ら研究授業の日程を連絡してくれたり、
「いつでも授業を見に来てください」と言ってくれるのは、本当にありがたい。

私にとっても大きな学びの機会を与えてもらっていることになるからだ。

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■ 学びあう授業研究への挑戦

(2012/06/25)

午前中の講義を終えた後、
枕崎市立桜山小学校の校内研修に参加した。

今年度より、
「共に磨き合い 共に高めあう 校内研修の在り方」を追究している同校では、
指導案の作成から、模擬授業、授業検討会まで、
授業研究のプロセスを全教職員の協力で進めることにチャレンジしている。

本日は、
グループでの学習を核とした研究授業が実施された。

子どもたちは、
自分の考えをグループのメンバーに丁寧に説明したり、
他のグループの発表を、しっかり体も向けて聴いたりするなど、
高いがんばりと学習に向かう姿勢や意欲を見せた。

一方で、
個々のグループ内での作業については、
説明の仕方や質問の仕方、意見のまとめ方などについて戸惑う場面がみられ、
自分たちの力で議論を深めていくことが難しいようだった。

グループで意見を練りあげるタイプの学習を深めるのは、
実は大人でも容易ではないからだ。

授業後の検討会では、
本時の授業について多角的に分析が行われ、
今後、教職員全員で追究していくべき課題が明確化された。

そしてそれらを、
各学年で今後取り組んでいく具体的な実践項目の形で整理するなど、
次につながる授業研究とするための工夫もなされていた。

私は、
同校のそのような取り組みの発展への期待もこめて、
グループ学習の深まりを実現するうえで教師に求められる工夫や、
授業を参観する際の視点の重要性についてコメントした。

特に後者については、
グループでの学習を核とした本日の授業の場合ならば、
参観時に子どものどこに注目すれば検討が深まるのか、
その観察の視点のいくつかを、自身が撮影した授業中の写真を用いて提案した。

授業研究の全プロセスを全教職員の協働で進めようとすると、
現実には多くの調整や困難を伴うことになると考えられる。

それでも挑戦する同校の研究姿勢は、
それだけで尊いものであると思うし、
その意欲的かつ価値ある取り組みの現場から、
私も多くのことを学ばせてもらっている。

そのような貴重な場に参加させてもらっている一員として、
同校の取り組みの充実に少しでも寄与できるよう、
私自身もさらに研鑽を積む必要があるとの想いを強くした。

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■ 授業研究の深化に向けて

(2012/06/11)

12時に講義を終え、
そのまま車に飛び乗り、ある小学校の校内研修へと向かった。

13時35分から研究授業が始まるのだが、
距離的に開始時刻に到着することが不可能なため、
途中参加を許してもらっての参加である。

車中で10秒チャージ昼食を行い、
なんとか授業開始15分を過ぎたあたりで参加することができた。

3年生の教室に入ると、
ちょうど授業の山場にさしかかる場面であることが、
すぐにわかった。

授業者の先生の工夫・熱意と、
子どもたちの学びに向かう真剣な気持ちが、
バチッとかみ合っていることが、肌で感じられた。

ただ、
演習内容が少し高度であったこともあり、
子どもたちの学びに向かうその高い気持ちが、
「できた」「わかるようになった」という実感や充実感に、
うまく結びつくところまでは至らなかったように見受けられた。

後の授業検討会では、
ワークショップ型で様々な視点から考察がなされ、
授業の営みが多面的に分析されるとともに、
各グループで共通して着目された視点についての分析が深められた。

90分近く時間がとられた検討会だったが、
多くの先生方にとっては、あっという間の時間だったようだ。

検討会の最後には、
市教委の先生から授業を検討する際の重要な視点について的確な指導助言がなされ、
私自身も学びを深める貴重な機会となった。

一方で私は、
授業中に観察した子どもたちの様子と、
授業後に子どもたちに尋ねた感想から考察された事柄をいくつか報告するとともに、
授業研究のスタンスについてコメントした。

たとえば、
本時のまとめにあたって、
当初予定していたまとめ方に無理に収斂させるよりも、
子どもたちが授業の中で見せた「難しい」「よくわからない」といった反応に応じて、
その子どもたちの気持ちを次の授業につなげるまとめ方に変更するといった選択を、
公開授業であっても臨機応変に行って良いのではないかと提案した。

おそらく、
日常の授業ではそうしているであろうから。

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■ 卒業生がゼミに協力してくれるありがたさ

(2012/06/04)

6月4日の月曜日、
2年前の卒業生が、ゼミに足を運んでくれた。

卒業論文や修士論文において、
教育現場の現実を対象とした研究を進めていこうとすると、
参与観察やインタビュー調査を実施することになることが多い。

そこで、
現在小学校教諭として勤めている卒業生が、
後輩たちのインタビュー調査練習につきあってくれることになったのだ。

ゼミ生たちは、
4年生グループと、
院生グループとに分かれ、
今日の本番に向けて入念にインタビュー計画を練ってきた。

今日のゼミでは、
先輩を相手に順番にインタビューを実施し、
その様子を互いに観察し合う演習を行った。

実際にインタビューを実施してみることによって、
上手くいかない時の申し訳なさや、焦り・緊張を経験する。

また、他者のインタビューを観察することを通して、

・どのような配慮があると相手は話しやすいのか、
・どんな工夫をすれば有益なデータが得られるのか、
・なぜ事前に専門的知識を身につけ、準備をしっかりしていく必要があるのか?

といった、
インタビュー調査の難しさや準備の大切さ、成功のコツなどについて、
実践的に考え、理解を深めていく。

練習相手になってくれた先輩も、
以前、授業観察とインタビュー調査を行って卒業論文を書きあげた。

その時の経験も踏まえながら、
今回はインタビューを受ける立場になって感じたことを、
的確に後輩たちにコメント・アドバイスしてくれた。

これから実際に学校現場へ調査に赴く学生にとっては、
私がくどくどと説明するよりも、何倍も学びになったことだろう。

小学校教員2年目になる彼女は、
前日が日曜参観で今日がその代休だということで、
朝から私の講義まで受講してくれた。

極めて多忙な教員生活の中での貴重な休日であろう1日を、
自身のさらなる学びや後輩のために費やすことのできる姿勢に、
ただただ頭が下がる思いである。

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■ 子どもも教職員も学びあう中学校

(2012/05/30)

ある調査研究に着手するにあたり、
岡山県のとある中学校を訪問した。

今回の訪問は、
生徒達が考査期間中ということもあり、
学校長に学校の経営方針等についてレクチャーしてもらい、
こちらの調査内容について情報交換を行うことが中心となった。

その後、
何名かの先生方と食を共にしながら情報交換し、
この中学校の先生方の考え方や、
授業・学級経営・生徒指導等の実態について、
断片的ではあるが、把握させてもらった。

特に印象に残った点は、
この中学校では、
子どもたちも教職員も学びあうことが大切にされており、
それが根付いているということである。

いろいろと話を伺っていると、
そこには、
管理職が実行している様々な工夫とともに、
何名かの核となる先生方の専門性の発揮がキーとなっていることが、見え隠れする。

「いつでも来てよ」
「自由に教室に入って授業見てもらっていいよ」
「生徒と一緒に給食食べて交流するのはどう?」
といった言葉や提案が、
先生方の口から自然とあふれ出てくる点にも、
この学校の「教育」に向き合うスタンスが現れているように思う。

次にこの中学校を訪れ、
日常の風景に学ばせてもらえる日が、今から待ち遠しい。

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■ 学びの意義を自分で見出すことのできる学生

(2012/05/26)

先々週に引き続き、
鹿児島県総合教育センターが実施している土曜講座に赴いた。

本日も、
私のゼミ生をはじめ、本学から8名の学生がいくつかの講座に参加させてもらったからだ。

ある学生は、歌唱指導の講座に、
ある学生は、学力調査の結果を活かした授業づくりに関する講座に、
またある学生は、教師になるとはどういうことかを考える講座に、
それぞれ自分の関心に基づき講座を選択し、参加した。

学生に講座後の感想を尋ねてみると、
・現職の先生方と一緒に学べることの喜びと得られる刺激の大きさ
・内容が深く、工夫が凝らされた講座の中身への感動
・次回の講座への高い期待感や参加意欲
などに類する感想が語られた。

自身の経験上、
おそらくこういった自主的な学びの場への参加の充実感は、
個々人の目的意識や向上意識の高さ、
どんな経験からも何かを学び取ろうとする意欲の高さなどを反映すると思われる。

学生自身が今日の学びが充実していたと感じるのは、
提供されている講座の質の高さのみならず、
学生自身が高い目的意識と向上心をもっており、
学びの意義を自分で見出すことができている証ともいえるだろう。

そのような学生の姿には、
私自身も何事にも真摯に学び続けることの重要性を再認識させられる。

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■ 協働型の校内研修の開発に取り組む学校

(2012/05/21)

午前中の大学の講義を終え、
午後からある学校の校内研修に赴いた。

先々週に足を運んだ学校と同様に、
協働型の校内研修の開発に取り組もうとしている小学校である。

約70分の限られた時間の中で、
協働型の授業研究の要点について学び、
授業ビデオの分析をワークショップ形式で行い、実際にその流れを体験する。

説明パートでは参加者全員が真剣に話に聴き入っているし、
演習では和やかな雰囲気となるようユーモアも交えながら互いに気遣いがなされている。
そして管理職も一緒になって演習に取り組んでいる。

管理職から教職員まで、
自分たちの研修を、より良いものにしていこうという意識が共有されている。

このような学校の雰囲気と土壌は、
様々なチャレンジを可能にするだろうから、
今後の展開がとても楽しみになった。

研修の最後にコメントする機会をいただいたので、
そのような期待も込めて、
協働型の授業研究を実現するための具体的な工夫例をいくつか紹介させてもらった。

しかし、
これが非常に力量が問われる場面であり、
最も神経を使う瞬間でもある。

伝えたいことが数ある中で、
先生たちが今日経験した事柄と結びつけながら、
現在の取り組みをさらに一歩発展させていけるような、
具体的かつわかりやすい提案を、焦点を絞って行わなければならないからだ。

後でふり返ってみると、
アレよりもコレをコメントした方がより的確だったなと、
反省点が山ほど出てくる。

大学へ戻る道中、
本日のコメントをふり返ってみると、
70点をつけるのがやっとの出来だった。

まだまだ修行は続く。

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■ 特別活動を中核に据えた公開研究会

(2012/05/18)

本日は、
本学の代用附属学校でもある鹿児島市立田上小学校において、
公開研究会が催された。

本学からも多くの学生が参加し、
私も、分科会の指導助言者として参加した。

研究テーマの中核に特別活動が据えられた今回の公開研究会では、
すべての学年で学級活動が研究授業として公開された。

私は3年生の学級活動を2クラス参観したが、
自分の意見を、きちんと理由もつけて発表している子どもたちの姿があった。

また、
大勢の参観者の前でも、グループの意見をまとめて堂々と発表する姿、
次々と出される意見を、要約しながら板書していく子どもの姿など、
参観者の多くが子どもたちが発揮した力の高さに驚いたことだろう。

昨年から数回指導助言者として関わってきたが、
子どもたちが互いに意見を出し合い、
折り合いをつけていく学級活動が営まれるよう、
教師はさまざまな工夫を凝らしている。

しかし、
本時に関わるそれらの工夫だけでなく、
教科の学習や学校教育の他の様々な場面でも、
日常的にそのような力が育まれるような工夫がなされているからこそ、
今日のような子どもたちの可能性が引き出されているのだと思う。

指導助言者としては、
そのような前提を確認したうえで、
ひとりひとりの意見を紡いでいく力を子どもたち自身が身につけるために、
教師がとれる手立ての要点について、いくつかコメントをさせてもらった。

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■ 共同研究、大学訪問、授業見学、ゼミ生との交流

(2012/05/16)

前日に岡山まで足を運び、
本日は、共同研究者であるS先生の勤務先の大学を訪れた。

朝から晩まで丸1日かけて、
研究の理論的枠組みの検討、
関連資料の入手と内容確認、
調査の構成と具体的内容の作成、
今年度の研究と学会発表のスケジュール調整等を行った。

途中、S先生の業務に同行し、
教育実習の事前指導にあたる講義に出席させてもらったり、
S先生の学生指導の様子を見学させてもらったりもした。

19時に終えた研究会後には、
以前学会やテキスト出版でお世話になったF先生と共に、
S先生のゼミ懇親会にまで招待してもらった。

この日は、
教育実習に向かうゼミ4年生を3年生が激励する、
教育実習壮行会の位置づけだったにも関わらず、である。

まったくの赤の他人である私だが、
S先生のゼミ生たちにとても温かく受け入れてもらい、
終始笑いの絶えない楽しい時間を過ごさせてもらった。

他大学の講義や学生指導を見学し多くの刺激が得られただけで無く、
S先生のゼミ生との交流を通して、
学生生活やゼミ運営、学生と教員の関係についての様々な情報交換まででき、
とても密度の濃い1日となった。

このような機会をセッティングしてくれたS先生と、
柔軟性と対応力に富んだS先生のゼミ生たちの厚意を、
本当にありがたく思った。

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■ 長距離移動中に仕事と1日の反省

(2012/05/15)

講義、会議、ゼミ、学生対応と、
朝からタイトなスケジュールに追われた1日を終え、
最終の新幹線で岡山へと足を運んだ。

今年度取り組むある調査研究について、
共同研究者であるS先生と、
研究の枠組みやスケジュール等を検討するためである。

全線開業した新幹線での移動は、
鹿児島から新大阪まで直通のため乗り換えの必要が無く、
移動中に快適な車内で調査資料等にじっくりと目を通すことができる。

往復で6時間弱になる移動時間だが、
仮眠・読書はもちろんのこと、
メール処理、資料・文書作成まで、
この6時間を丸々仕事に関連する作業にも費やすことができるのは、とてもありがたい。

今回の岡山までの移動中も、
日中にできなかったメールの処理、
明日の研究会のための準備、
今日の講義やゼミの反省と計画の修正とやっていると、
3時間弱があっという間に過ぎた。

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■ 研修に参加させてもらって

(2012/05/12)

5月12日の土曜日、
鹿児島県総合教育センターが実施している土曜講座に参加してきた。

教科指導から生徒指導、保護者対応、危機管理まで、
さまざまなテーマの講座が準備されている。

この土曜講座は、
現職教員を対象とした自主参加型の研修であるが、
教職を志す大学生にも、参加の機会が開かれている。

私のゼミの学生が参加させてもらうこともあり、
それに便乗(?)し、私も受講者として講座に参加させてもらった。

昨年も、
学生の引率を兼ねて受講させてもらったことがあるのだが、
私のような若輩研究者にとって、
受講者として参加させてもらえることによって学べることは、決して少なくない。

専門と異なる分野について学ぶ機会になることはもちろんだが、
現場で切実となっている問題や先生方の関心に触れることができるとともに、
それらが理論的内容とどのように結びつけられて研修で扱われているかを、
研修の生の現場から学ぶことができるからだ。

講師として講演・講習する側として招かれる場合とは違い、
自身の研究や教員養成との関連をじっくり考えながら話を聴けるなど、
受講する側の立場でさまざまなことを考えたり整理したりできることも大きい。

ただ一方で、
受講者の中に大学教員がいるというのは、
いろいろと気をつかわせてしまうこともあるだろうから、申し訳なく思う一面もある。

それゆえ、
私の参加を快く受け入れていただいたことを、
本当にありがたく思いながら受講した。

学生にとっては、
他大学の学生も参加している姿などを見て、
志や学ぶ意欲の高い者に対する経験と学びの機会が開かれていることの大切さを感じた。

教職を目指す学生には、
ぜひこのような貴重な機会を有効に活用してもらいたいと思う。

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■ 長距離移動を伴っても参加したい校内研究

(2012/05/07)

午前中の講義を終えたその足で、
A市のとある小学校の校内研修へと足を運んだ。

今年度、
あるプロジェクトの支援を受け、
「協働型の校内研修」に取り組む学校である。

教職員数10数名、
若手教員の比率の高い学校であったが、
研修の会場に先生方が集まってくる時点で、
この学校の教師力の高さが感じられた。

あいさつ、表情、動き、
会場へと入ってくる先生方がとても活き活きとしている。

実際、研修が始まると、
高い集中力と意欲が発揮され、
スピーディーで深い議論が展開された。

これから1年間、
この小学校の校内研究には数回参画させてもらうことになるが、
これから足を運ぶのが楽しみになる午後だった。

ただ、
スケジュール上ちゃんとした昼食をとる時間が無く、
往復で4時間、合計170kmの移動距離の運転もあって、
大学に戻ると疲労で1時間ほど仕事が手につかなかった。

それでも、
価値ある学びの場からもらえたエネルギーで、
なんとか明日の講義資料の準備といくつかの仕事を終わらせ、
いつも通り、22時には無事(?)帰宅の途についた。

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■ つながりのありがたさ

(2012/05/03)

本日、
とある県の教育センターのS先生を中心とした、
若手教員から中堅教員、管理職までもが集う情報交換会(懇親会)に参加した。

参加者13名は、
所属も立場も職歴も異なるメンバーだが、
教育に対する高い意識と想いをもった面々である。

大学教員である私にとっては、
現場に学び、現場の感覚に触れることのできる貴重な機会でもある。

インフォーマルな場だからこそ深く話せる話題。
感じることのできる現場の先生方の感覚。

これまでの経験上、
教育現場に少しでも成果を還元できる現実的な研究を進めるためには、
このような機会と、そこでできた人とのつながりが大きな意味を持つことになる。

また、
教員養成に携わる自身が果たすべき役割についても、
現状をふりかえり、次なる挑戦課題を認識する大きな契機となる。

高い志をもった人達との交流は、
明日へのパワーと向上心への刺激が得られる点で、とてもありがたい。

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■ ゼミ新入生歓迎会

(2012/04/21)

この4月から、
ゼミに2名の大学院生が加わったので、
ささやかながら歓迎会を催した。

新たに加わったのは、
他大学から進学してきた若者と、
大学院派遣研修を利用し、2年間大学院で学ぶ現職教員の2名だ。

4年生3名、
本学出身大学院生1名に、
他大学出身者と現職教員。

構成メンバーが多様であることは、
学びを深め、互いに刺激し合う学習共同体を構築するのに好条件である。

この好条件を活かすことができるよう、
新たなゼミ運営にチャレンジしていきたい。

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■ 新年度スタート

(2012/04/05)

4月2日、
新入生オリエンテーションにて、
新たに入学してきた若者たちとの顔合わせを行った。

4月4日には大学院生2名がゼミに加わり、
新たなメンバーでのゼミが6日から始まる。

私にとっては鹿児島大学での4年目がスタートした。

肩書きも准教授と変わったが、
まだまだ若輩ゆえに、
「もう3年も過ぎたのか」というのが正直な感覚だ。

今年度は、
いくつか環境等が変わったこともあり、
様々なことに挑戦することになりそうだ。

新入生のみなさん、
一緒に楽しくやっていきましょう。

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